我々はどうしてプリンに心を奪われるのか。

それは「卵」と「牛乳」という、生命を象徴する食材の組み合わせが生み出す、その尊い味わいによるものだと思っている。食の錬金術ともいえるまさに魔法のような発明である。
「卵」とは哺乳類以外の生命体の遺伝子継続装置であり、生命を形作る要素が全て含まれていると言って良い。
では「牛乳」とは何か。哺乳類が子供を育てるために胸から出す白い液体なのは分かっているが、なぜあんな白い液体が体内から出てくるのか、どうやって体内で製造されているのか考えたことはあるだろうか?
乳を出す乳房とはどういった器官なのであろうか?ヒントは乳房の形にある。乳房は高低の差はあれど記号化すれば三角錐といえるのではないか。三角錐のものといえばそう、コーヒーのフィルターを想像する。
とても省略していうと、乳房とは血液を濾して乳にするフィルターである。血液とは全身に栄養成分を運ぶ液体であり、栄養そのものが流れているようなものである。牛乳とはその血液から血小板など血液成分を濾しとって栄養だけにしたものだといえる。
血液成分が漉される理由は、漉されなければ親が貧血になること、血液自体は子の骨髄でも生成されるものであり、飲んでも血にならないなど理由は考えられるが、1番の理由は子供に飲みやすくとの神の配慮だと思っている。
そこで、あらためてプリンを思うと、
プリンとは、命をつなぐ卵と血液を濾した牛乳を練り合わせたもの。そこにいかに多くの生命誕生に向かうエネルギーが溢れているか、生命力の結晶であることが想像していただけよう。プリンを食べることは生命エネルギーをいただくことなのである。
しかも、卵と乳は殺生を伴わない。プリンが生命の犠牲によってのみ成立するものであれば、食べるときに業を背負うことになる。
卵と乳は人間の勝手な都合で動物から奪ってはいるものの、生命自体を傷つけてないという救いがある。
だから、我々は罪なき子供に安心してプリンを与えられるのだと思う。

完全食品とも言われる「卵」と「牛乳」。それが合わさった超完全食品「プリン」が飲み物になった。

その名も「たまごぷりんラテ」。
セブンイレブンで展開中だが、製造者は守山乳業とある。1918年に創業した、あの日本で始めにコーヒー牛乳を発明したと言われる守山乳業である。
こちらも悪魔的発想としか言いようが無い。
そもそもプリンもゼリーも飲み物と思っていた人も多くいただろうが、流通状の分類は「洋生菓子」であり、れっきとした食品である。しかし、こちらの「たまごぷりんラテ」の商品分類は「乳飲料」となっている。
それにより得られるメリットと言えば、プリンのデメリットの克服に他ならない。
プリンのデメリットとはこれだけ完全に近いマルチ栄養食品でありながら、すべての生活シーンに適合していなかったことにあるといえる。
そのニーズがありながら適合しにくかった2大シーンとは、
・手が離せない作業中
・移動中・歩きながら
ではないだろうか。
そう、プリンのデメリットとはスプーンで掬って食べるというその食べ方自体である。
通勤や移動中に食べたくても、どこかベンチに座るなどしなければ食べられたものではなく、電車やバス、タクシーの中でも食べられなかった。
また、歩きながら食べるのも困難であったことから、長らく街なかでワンハンドで食べられるプリンは待望であった。
さっそくこの「たまごぷりんラテ」を購入し食したが、まさに「飲むプリン」とも言えるプルプル感、濃厚なカスタードの味わい、イメージ通りのものであった。

さらに望む点といえば、こちらの「たまごぷりんラテ」は半固形物を肺の力のみで吸うため、肺・呼吸器が弱い人やお年寄りに辛い場合があるのではということだ。
ウイダーinゼリー型の容器であれば、握力を使うことで肺の負担が抑えられるため、お年寄りや呼吸器の弱った人に安心して勧められる。
さらには、駅で購入して電車が来ていても一瞬で食べ終わってしまうなどメリットが拡大する。
手で握って押し出すタイプのプリンの登場を願ってやまない。

この記事を書いた人
近藤圭介/デザイナー・アートディレクター
多摩美術大学グラフィックデザイン卒業後、広告代理店に勤務しCMプランニングなどをしていたが、その頃には珍しかったMachintoshがある制作会社へ移動。グラフィックはじめ店舗開発や商品企画などいろいろなデザインに携わる。

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