オフィスが新橋にあると、「お昼時、食べ物屋に困らなくていいね」なんてことをよく言われる。たしかに飲食店は多いとは思うが、その質はまさに玉石混交であり、もう一度行きたいと思うほど美味しい店というのは実はそんなに多くは無いし、ハズレと思う店も多数存在する。このシリーズでは自分が繰り返し通う真に美味しいと思う店だけを紹介していく。
この辺(新橋)あたりでとんかつの美味しい店といえば、都営三田線御成門駅、都営浅草線大門駅周辺に檍(あおき)、燕楽 (えんらく)、むさしやなど名店が多く、特別感と満足度の高いとんかつがいただける。
新橋駅近辺にもとんかつ屋がないわけではないが、真に美味いとんかつを食べるには、御成門または大門あたりまで行かねばならぬと思っていた。
この「とんかつ 酒菜 くら」に訪れるまでは。

こちらは内幸町の交差点からひとつ裏の路地を虎ノ門方向に歩き、しばらく歩いたところで更に横の路地に入る。
昼時にいつも人だかりができていたのは知っていたが、なぜか長い間入らなかった。内幸町から虎ノ門に続く縦の路地の店はいくつもトライしたが、横の路地は無意識に避けてしまっていたのかもしれない。横の小道のほうがもう一段マニアックに感じていたからであろうか。
一度伺ってからは、自分にとっての定番の店の一つになっている。
自分のおすすめは、ロースカツ定食100g(900円)である。この価格からは想像できない肉質の良さと調理の良さ。揚げは低温でもなく普通であるが、肉の旨味がとても活きている。
自分が好きな点は、トータルに質が高く高級料理のレベルなのに、気取ったところがひとつもないところである。
肉の旨味を際だたせるために衣を薄くするとか、肉にレア感を残すとか、肉の銘柄を貼り出すとか、塩でいただくことを勧めるとか、「うちのとんかつは特別な肉料理ですから」と言わんばかりの差別化をする意識高い系のとんかつ屋がある中、こちらは見た目、食感ともにいたって普通である。
普通であるが、材料や調理すべてのレベルが高いのである。お茶からして美味しい。

「うちのとんかつは特別なとんかつ」という意識ではなく、「誰にでも美味しい普通のとんかつ」という考え方で作っているように思える。センスがあるのに腕自慢の差別化に走らないから、食べる方も構えずにリラックスして食事できるという、自分が最も好きなタイプの料理人だと言える。
B級グルメとしての気軽なとんかつと、A級グルメの高級とんかつの味わいが同居しており、とんかつ屋としてだけでなく、料理屋としてリスペクトできる店である。
他のメニューでは、メンチカツ定食(880円)、チキンカツ定食(890円)、ヒレカツ定食(1,370円)、南州黒豚ロースカツ定食(1,850円)などを試し、どれも美味しいのたが、結局普通のロースカツ定食に戻ってしまう。

食べ方は、ソース派の自分がここではいつも塩で食べてしまう。塩をお試しくださいと勧める店ではソースで食べたくなるのだが、こちらは自然にテーブルの上の塩に手が伸びてしまう。ミルですりおろすその塩は容器の中にピンク色の岩塩が入っている。きっとヒマラヤあたりの岩塩かと思うが、産地を書いてないのがまた良い。塩は直接かけずに小皿をもらってつけて食べる。
前半を塩でいただいき、そのまま最後まで突っぱしってもよいのだが、後半にはやはりソースを少し試す。とんかつは本来ソースで食べるべきものというルールがあるわけではないが、子供のときに感じたソースというスペシャルな調味料のうまさへの感動の記憶がそうさせると思っている。とんかつやエビフライを食べるとき、旨味の中心にあるのはソースであった。
今でも忘れないのは、小学生ぐらいのときに家族に連れられ行ったホテルの高級レストラン。そこで自分は当時大好物だったエビフライをオーダーしたのだが、そのエビフライに愕然とした。大きなぷりっぷりのエビに申し訳程度のパン粉しかついておらず、海老の身がほぼ透けて見える。不安は的中した。
衣がうすすぎてソースが染み込まないのである。それを口にしたときのがっかり感ときたら今も忘れない。今はあれが大人向けの本物のエビフライであったとわかるが、子供だった自分にとってはエビフライの主役はソースであり、エビや衣はソースを味わうための媒体に過ぎなかったのである。ソースを十二分に味わうためには衣は厚くなければいけなかったのだ。
子供の自分にとって、ソースはそれ自体がごちそうであった。自分の中の子供の心が、あれほどの感動を与えてくれたソースをないがしろにするなと訴える。
しかし味覚が大人になった今では、どうしてもソースを甘く感じる時がある。砂糖のせいだ。ソースは調味料の複合体で、主な調味料は酢と塩と砂糖である。今一つの肉でも美味しくしてしまう魔法の調味料ソースの欠点は、肉本来のうまさを引き出すのではなく、肉にソースの旨さをかぶせてしまう点である。それはそれで良いのだが、肉の質が良く、味覚のベクトルが肉の味そのものに向かってしまう時、ソースの強烈な旨さは肉の繊細な香り、味わいを奥に引っ込めてしまう。
そんなときに思いついたのが辛子醤油である。辛子醤油は醤油(この店では、おそらく冷奴用に用意されている)に辛子を混ぜたものだが、塩にはない風味が加わりながらも甘さがなく、和食寄りの味わいで肉をいただけ、肉の旨味も引き立っている。
世の中には普段からとんかつを醤油で食べている人がいると思うが、自分の場合、この店のカツを変化をつけながらより楽しみたいという願望から生まれた、自分の中では発明なのである。
と、食べ方についてもいろいろと考えさせられ、もともとが美味しいのにテーブルに置かれたもので更に美味しくしてみようと頑張ってしまうこちらのロースカツは、真のオススメである。
こちら、焼酎や日本酒も選びぬかれたものが揃っており、夜は揚げ物主体の居酒屋として人気のようである。近々試してみたいと思っている。

店舗情報
タイトル
店名:とんかつ 酒菜 くら
ジャンル:とんかつ店
所在地:〒105-0003 東京都港区西新橋1丁目-11-8
営業時間:[月~金] 11:30~14:30(L.O) 17:30~21:30(L.O) [土] 11:30~14:30(L.O)
この記事を書いた人
近藤圭介/デザイナー・アートディレクター
多摩美術大学グラフィックデザイン卒業後、広告代理店に勤務しCMプランニングなどをしていたが、その頃には珍しかったMachintoshがある制作会社へ移動。グラフィックはじめ店舗開発や商品企画などいろいろなデザインに携わる。

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