一場靖弘という投手を覚えているだろうか?2004年のドラフト会議の際に、「栄養費」問題で世間の話題をさらった、元東北楽天ゴールデンイーグルスのあの一場靖弘だ。そんな彼から「メディアに出て野球の仕事がしたい」という連絡が入った。どういうことなのか、さっそく話を聞く機会を得た。
「精神的にボロボロの状態で入団した」
一場靖弘といえば、高校時代からその才能は注目され、桐生第一高等学校時代は2度甲子園へ出場し、最速145キロを計測。明治大学に進学すると歴代2位となるシーズン107奪三振を記録。当時の六大学史上最速となる154キロは今も語り継がれている。
当然プロ野球界も引く手あまたの争奪戦を繰り広げるが、それがあの社会問題にもなった「栄養費」問題につながってしまう。紆余曲折あって2005年に東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。
当時の気持ちを「気持ちが100の状態で入団するのと0で入団するのじゃ全然違いますよ。精神的にボロボロの状態で入団しました」と語ってくれた。プロの世界で活躍する精神状態ではなかったからか、2006年の7勝をピークに目立った記録を残さずにヤクルトに移籍。その2年後に引退した。
「自分の名前が世間から忘れられる前に」
引退後は元広島カープの紀藤真琴の紹介で、茨城県水戸市で通信機器を販売する会社に勤めていた。紀藤が主宰する野球教室で指導を行うこともあったが、念願だった野球関連の仕事ながらも、なかなか上手くいかないこともあり、水戸を後にした。その後、都内で外資系の金融機関での仕事に就いた。
ここでも野球の仕事に対する思いは変わらず、ことあるごとに「自分の名前が世間から忘れられる前に野球の仕事をやりたい」と同僚に相談していた。そこで、まずは芸能事務所に所属してメディアに出ようという算段になり、人づてに芸能関係者に会うことができた。
思いは通じたのか、今年の11月1日より、KIKURIや桜井梨理らが所属する芸能事務所グリントエンターテインメントに所属。今後は野球関係の仕事や芸能活動を開始するという。まだ詳しいことは書けないが、さっそくテレビ関係の仕事を調整中だ。取材の最後に「テレビの野球番組、バラエティ、野球中継の解説、YouTubeでの活動など、いろいろと考えています」と力強く語った一場。第二の人生は、「気持ちが100」の状態でスタートしている。
- <一場靖弘 プロフィール>
- 1982年7月5日生まれ、群馬県出身。桐生第一高等学校時代は2度甲子園へ出場し、最速145キロを計測している。明治大学では歴代2位となるシーズン107奪三振を記録。また当時の六大学史上最速となる154キロを記録。2004年のドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。引退後は一般企業の会社員として働きつつ、野球教室などで野球指導を行っている。
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- ウィルメディア編集部
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