「普通の人でいたかった怪物」の権力に背を向けた人間像に迫る

 
「日本人レスラー最強説」が今もプロレスファンの間で根強く語られるジャンボ鶴田。2000年の急逝から、今年で没後20年。ジャンボ鶴田の命日にあたる今年5月13日(水)に「永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」が発売となる。
ミュンヘン五輪出場へのこだわり、相撲界との争奪戦の末の全日本プロレス就職、師匠ジャイアント馬場との対決、1977年のクーデター事件の真相、長洲力との確執、幾多の世界タイトル奪取、そしてライバルたちとの名勝負など、天龍源一郎、長洲力、川田利明、小橋建太、渕正信らの新証言や当時の本人の証言から、ジャンボ鶴田の実像に迫る。
ジャンボ鶴田のどこが凄かったのか?強さの秘訣は?リング上では日本人最強だったにも関わらず、団体のエースになれなかったのはなぜか?著者である元「週刊ゴング」編集長の小佐野景浩が、取材の蓄積や関係者への取材から丁寧に紐解いていく。

ジャンボ鶴田
(鶴田友美/つるた・ともみ)
1951年3月25日、山梨県東山梨郡牧丘町生まれ。日川高等学校時代にはバスケットボール部で活躍し、インターハイに出場。69年4月に中央大学法学部政治学科に入学してレスリングを始め、72年のミュンヘン五輪にグレコローマン100kg以上級代表として出場。同年10月31日に全日本プロレスに入団した。73年3月24日にテキサス州アマリロでデビューし、ジャイアント馬場の後継者として躍進。インターナショナルのシングル、タッグ、UNヘビー級、日本人初のAWA世界ヘビー級、初代三冠ヘビー級、初代世界タッグ王者に君臨している。87年〜92年には天龍源一郎、三沢光晴らの超世代軍と抗争を展開して一時代を築いた。92年11月にB型肝炎を発症して第一線を退き、筑波大学大学院の体育研究科でコーチ学を学んで教授レスラーに。99年3月6日に引退してオレゴン州のポートランド州立大学の客員教授に就任したが、2000年5月13日午後4時、フィリピン・マニラにおける肝臓移植手術中にハイポボレミック・ショック(大量出血)により急逝。49歳の若さでこの世を去るも、“最強王者”としてプロレスファンの記憶の中で生き続けている。
著者紹介

 
小佐野景浩(おさの・かげひろ)
1961年9月5日、神奈川県横浜市鶴見区生まれ。幼少期からプロレスに興味を持ち、高校1年生の時に新日本プロレス・ファンクラブ『炎のファイター』を結成。『全国ファンクラブ連盟』の初代会長も務めた。80年4月、中央大学法学部法律学科入学と同時に(株)日本スポーツの『月刊ゴング』『別冊ゴング』の編集取材スタッフとなる。83年3月に大学を中退して同社に正式入社。84年5月の『週刊ゴング』創刊からは全日本プロレス、ジャパン・プロレス、FMW、SWS、WARの担当記者を歴任し、94年8月に編集長に就任。99年1月に同社編集企画室長となり、2002年11月からは同社編集担当執行役員を務めていたが、04年9月に退社して個人事務所『Office Maikai』を設立。フリーランスの立場で雑誌、新聞、携帯サイトで執筆。コメンテーターとしてテレビでも活動している。06年からはプロレス大賞選考委員も務めている。

書籍情報
「永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」
著者
小佐野景浩
発売
2020年5月13日(水)
定価
1,800円+税
発行元
株式会社ワニブックス

ログインする

詳細をお忘れですか?